禅仏教とは What is the Buddhism
This is the shortest explanation of What is the BUDDHISM, which I made to my friend in Japan.
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これは日本の友人に送ったメールで、仏教とは何かを説明した部分ですが改めて読んでみると、
極度に簡略化した割に要点はちゃんと収まっている。
これは皆に読んでもらうのに手頃では?と、ポストに加えました。
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仏教的倫理観では、人間も含めた全存在は実は無限に広がり断え間なくつながった
「法(ダルマ)」であると理解しています。 個人が個人と見え、当人もそう考えているがそれは単なる
見かけで実体の無いもの。 (ましてその当人のエゴだ欲だといったものは当人の幻想、雑念以外
の何物でもない)---で、当人は実は全体のー部分、他の人ともつながっているから、ちょうど怪我をした
手の痛みが全身に伝わるように、仙台の痛みが大阪のヤクザにさえ伝わりトラックを駆って現地の救援にと
かり立てる。 それも坊主が説教してかり出した訳ではなく、全く自発的な行動です。
ーーーという事は別に仏教に依らずとも、元々これが人間のモラル、「法」として存在していたという事実です。
当然、救援に向ったトラックで石コロを運んだような馬鹿は居ない。自発こそは「法」であり、英知です。
例の倫理構造図式の、実在、真、正、英知、さらにそこから抽象された倫理意識や、具体的に
何をすべきかは人に言われるまでもなく、まして坊主に説教されるまでもなく誰もが解っている事です。
釈尊はこれを指摘して「法」がいかに全てをカバーし有効に機能しているかを説明しただけで、別に
[法]やモラルを発明して人類に与えた訳ではありません。(僕は単にそれを図式化して説明しただけです)
元々「法」の中に無我も慈善も含まれているのですが人間、我や欲、執着があって素直に「法」を
見る事、従う事ができない。 で、小乗仏教では細かく禁忌義務を列記して、
形の上だけでも「法」に従った、つまり悟りを開いたとされる人間を生産しようとした訳です。
しかし何百もの禁忌を記憶しそれにこだわりつつ生きる事自体が雑念ではないか?となった。
ここから大乗ヘの進化が始まった訳です。
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「法」は全ての人間に(実は虫けらにも)元々備っていて雑念がそれをマスクしているだけだから
要は無心になれば良いーーーとは言うものの、それ程簡単ではない。
「精々努力しなさい。しかしムリしなさんな」というのが「中道」と言うもの。
極端に執着したり固定観念でタメにするのは別として人が人として自然に着想してやっていく事は
「法」の内と見るのが大乗です。 しかし、それならー流の職人が寝食を忘れて完璧を追求するのは何か?
あるいは連続強姦魔はどうなのか?ーーーなどというタメにする質問が出たら、
質問者をー発ドツケば即解決する。禅は明解です。
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面白いのは長年黙々と手作業をやって来た人、全く空しく水面を見つめて来た釣り帥などの中に
しばしば「ムッ、お主できるな」という人物がいる事です。ーーーで、この効果を意図的に再現するように
考えたのが、それぞれの宗派の「行」で、全く何の足しにもならない事を延々と繰り返させる。
初めは疑問や不平があってもいずれ思念を放棄し黙々とやるようになる。意図的に与えられたものでも
無心に遂行する心理、行動様式が定着すると余計な思考や逡巡なく物事を処理できるようになる。
ーーーーー(僕はこれを仏教の持つ第3のアスぺクト=心理工学と呼んだ訳ですが)
(思念のマスクが取除かれると潜在意識の中にプログラムされていたものが反射的に出る。.しかし、
本人すら自覚していないものが何故そこに在るのか?ーーーだからそれが「法」なのだ、と説明する)
無心とは、一切の構えなく心を開く事でもありますから自由な発想を持つには最適ーーーで、
それをテストする為に僕は色々変なものを発想しては、それを作っている訳です。
実験心理学、実験仏教学と言う所以です。
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___/\___ Yoshizen 拝
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