ダルマ/法と仏教の構造—Structure of Dharma
これは禅を学んでいる人にダルマ/法とは何かを説明して送った手紙の一節ですが,
実に明解,言い得て妙だと自分で笑ってしまった程で,これはここに再録せむとなった次第。
( In here, I’m explaining [What is the Structure of the Dharma] )
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喩えが悪いケシカランと思う人が居たら,アナタ流の説明をコメントに入れてくれるよう。
---奇抜な喩えで,一気に理解させるというのは
釈尊以来,仏教,禅の伝統になっている。
もし,仏教は,禅は高貴なる神秘と信じているとしたらそれはアナタのロマンと高慢。
とまれ,悟りとは犬の糞。
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ダルマとは,この全宇宙,物理的全存在とそれを存在させている全法則,その総体のことです。
解り易い例えで言えば,ダルマ/法とは宇宙サイズの機械仕掛けで,支配原理は神秘的形而上学
でも宗教理念でもなく,合理主義に立った物理学,材料工学,分子生物学,生理学,etc,科学
の総体です。
当然そのサブシステムのである我々もその微小部分の一つであり同一の原理で作動している(ダルマ
を内包する)訳です。
(機械に心は無く(=無心),黙々と作動してその機能を完遂するのが役目)
このシステムがジャンクのよせ集めではなく,システムであるのは個々のサブシステム間,総システム
との間に整合が保たれ(ほぼ)完璧に機能し破綻が起らないという事です。
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ごく一般的,かつ楽天的に見れば,この機械システムは一応恒常性を保ち,全生物は間違いなく
進化して来ている。 人類も一応発展しながら無事命脈を保っている事から見て,性善と考えられ
ている訳ですが,別に人間に好意的とは限らず,むしろシステムの利益,つまり宇宙や地球の
安定的バランスに価値基準が置かれているらしい。
つまり,個人の利益幸福よりは社会正義,特定社会の都合よりは地球環境の安定の方が重要。
---とは言えこのシステムはあまりに巨大かつ複雑な為に大部分は未知であり,
おそらく人間如きにその全容は不可知でしょう。
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人間は微小なサブシステムにも関らず,頭でっかちに進化し高度な思考能力,想念とか心を持つに
至った訳ですが,トラブルは,この想念(思い込み)が元々の設計仕様を覆い隠すだけでなく,
仕様からはずれたり(妄念),高すぎる期待値(我欲)を抱いたりする為に,本来の機能すら
全うできなくなる事です。
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つまり,元々の設計であるダルマと,思考想念との乖離矛盾が人間の苦の根源と喝破した
釈尊はそうした無要な思考,想念を断って(無我,無心)生きる事がダルマの回復,回帰(一如)
であり,矛盾の解消された悟りの境であるとの教え(仏教)を始めた訳です。
[例えば季節は太陽の動きに一致し,植物が[規則]正しく芽を出し花を咲かせるように万物が[規
則]=ダルマを持って存在するするという考えはごく自然に得られるものです。
釈尊もこの伝統的理解を踏襲した訳ですが,彼独特かつ画期的アイデアは,ダルマ理解の中に
カーマ(カルマ,縁,因果=原因〜結果)の視点を加えた事です。つまり万物は因果の連鎖を
持って存在し,原因なくしては結果も無い。素粒子が無ければ原子は存在し得ず,光が無ければ色
は無いし水が枯渇すれば作物は育たない。---この考え方はさらに飢えがあるから,欲があるから
盗みが起るなど,心理や思考/その傾向にまで拡張されていった訳です。
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しかもこの因果の連鎖は網の目のように広がっているから,繋がりのどこかで生起する物事は次々と
連鎖していく。従って万物は依存する条件の恒常的変化(万物流転)の中にあり不変のものは無
い。(諸行無常)
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もっとも,どこまでをダルマ(法)とするかは宗派によって異り,禅宗では全存在を 含めて法とするが,
現象の背後にある法則(例えば合理性)だけを法とする考え方,スリランカなどの南方仏教のように,
信者の守るベき戒律だけを法と呼ぶ場合もある。(最も重要な点は
釈尊はこのダルマを概念や抽象的観念としてではなくその存在を客観的に実感し得る実在(全存
在)として把握していたと言う事です = だからこそ他人の言葉(言語化された概念)を信じる
な、己れの直感で体得せよと教えたのです = 例えば、事実として己れが無私であるのを経験
する事。
(あなた自身これを読みながら、実は自分が読んでいる、まして眼が文字を拾っているなどと言う
自覚はまったく無かったでしょう = 全て無意識の内に処理される) 己れの認知にかか
わらずダルマは存在し無言で機能しているのを知る事。 ところがそれらは直感(潜在意識)で
把えたものであるから、在るとも見えるし無いとも見える = つまりダルマさえも実は無私(空)
であるのに外ならない。)
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[果たしてダルマに宇宙意志とか,人間界で言うような意図があるのかは議論の分れる所ですが,
僕の個人的経験から言うとやっぱりあるようです。
何故か,ぼこっと幸運に恵まれたり,逆に前述したような思い込みや妄念でストレスを高め己れで墓穴
を掘ってしまうような[極めて理に叶った例]だけでなく,「これは死ぬだろうな」と言えるような事をやった
人が,突然ころっと死んだり癌になって苦しんだりするのは,やはり運命(ダルマの意図)の配剤らしい。
[]運命というのは,ほとんどがシステムの合理性として説明できるダルマの原理の中に残された不可知
の領域ですが,それでも直観的にピンと来る所が面白い。
しかし運命は運命,無心に(感情的になって嘆き悲しむのではなく)受止めるしかない=不可知を
知ったからと言って何のたしにもならないという訳で,それについて質問された
釈尊はそれを無視して黙っていた。(無記) (とのことです=僕が目撃した訳ではない 笑)
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---必読:無着無住とは? (リンク)
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i tried to translate this with google …
maybe its time to learn japanese 🙂
-^-
jag
Thank you Jagan for your effort.
Now I know why this post alone received more than 50 accesses
soon after it was posted, wondering have I got so many Japanese readers ?
I didn’t think there was a way of Google translation 🙂
English version will be coming soon.
What I say might be very controversial though, it would be enlightening
to many. 😀 —– Watch the space.
i have written a program that can direct people on twitter interested in zen to come visit and read your delightful blog. i’m waiting for your green signal to proceed. nothing illegal. a bit naughty though 😀
-^-
jag
Most naughty things was to talk openly on the comment 😀
As long as to the people who is interested in Zen, it would be a fun.
Anyhow my blog is notoriously naughty. 😀
i see GREEN 🙂
watch your wordpress stats 🙂
-^-
jag
program initiated.
watch your space.
anything happening?
-^-
jag
It’s a strange contradiction. Having 100 hits every day and all together 71,000 hits
since I started this blog though, I’m not necessary keen to promote or sell sell.
Like all of my mail account, even Youtube account is under alias and I never
interested in SNS.—– because, I don’t want to sell myself but the contents.
With the same reason, I don’t want to have “nice packaging” and
typical Zen pretense, talking sweet words. = Hence pretty bald and naughty 😀
Because the Zen is not sweet and peaceful. = it’s got a tradition =
mind-set for a fighter and a sword’s master.
yoshisan
you are not promoting. i am 😀 and i am not promoting, my twitterer is auto promoting 😀 the fine work you have done is already done.
-^-
jag
なんとなく今村さんのブログを見ていたら、なんと日本語。びっくりしました。なんか難しい事かいてますね。私などこの頃山スキーのこととか、仕事の事以外あまり考えないので驚きます。
時々、覗いて見ますが日本語なのでついつい書き込んでしまいました。
牛田兄
いや,大変結構です。 実は日本人向けに書いたポストも所々にあるのですが,なにしろ
300 近くポストが在るから埋れてしまう。
それにしても,三年の間, 72000 ヒットの中で,大兄が四人目の日本人で,日文で
書込んだ初めての人です。 ---もっと気楽にやっていいのにねェ :-D
[…] 法/ダルマと仏教の構造 […]
[…] そこから見たら今の日本に家業の禅寺をつぐ必要のある人以外、何人ぐらいの人が自分の撰択として禅を学んでいるのか?ーーーさらに不思議なのは日本からのアクセスが断えない「ダルマ/法と仏教の構造」のポストを読んでくれているのはいったい誰なのか? そもそも、このポストをどうやって発見できたのか?(書いてある内容は素人受けする物ではないし、逆に本格的に仏教学を学んだ職業僧にとっては奇異過ぎるのではなかろうか? いかに禅が自由な発想を呼ぶものとしてもあれはどうしたものか?) […]