ヨシ禅縁起
(これは友人に送った手紙の拔粋で,まァ日本霊異記,仏教説話の現代版ですな)
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昔母親が僕の手相を読みながら 「お前は下らない事ばかりやっているが,曲った事だけはやらない。それに使命を負って生れていますからそれを果すまでは絶対に犬死にする事はないし,そもそも不動様が付いているので全く心配していません」と言い放ってくれた事があった。 しかし,なんで俺ごときに,わざわざ不動様の番が付かねばならぬのか?
この意味が把めたのは実に厄年も過ぎてからで ーーー ハタ!そう言えばえらくヤバい所を歩き回っていた割にマムシ、ハブはおろかサソリ、毒グモの類に出合った事も無い。 考えてみるとそもそも病気にかからない。 岩場で二度も転落しながら全くの無傷。 大転倒してスキーを二本も折りながら何の怪我も無し。 一方、背後から刺してくれた者、裏切ってくれた者が突然癌にかかってコロッと死んだり、もっとひどいのは死ぬ事もならず苦しみ続けている。 山で嫌がらせのしごきをやってくれた男は即、雪盲で動きもとれなくなって痛みでひいひい泣いていた。(因みにこの男、しばらく前に山に登ったものの徹底して暴風雨にたたられたとか=神サマ後々までかなりしつこいらしい。笑) 偉そうに命令はするが自分では薪切りも荷上げもやらなかった小屋番の五人は還暦を迎える事もなく他界して当時のメンバーはあとー人しか生残っていない。(ずっと後になって知った訳だが全く異った状況と死因ながら五人が次々に、というのには流石に目をむいた) ーーー 小生が常連になると店や団体は大繫盛,逆に行くのを止めるとそこは倒産する。—–(ディスコ四軒,カフェ二軒,三団体, 山小屋二軒) 遇然にしてはちょっとタイミングが重なり過ぎている。(全て知らないうちにそうなっていたので,小生が呪いをかけた訳ではない---念の為)(例外的にBrixtonのクラブスタッフには予め警告を与え次の仕事捜しを勧めておいたのだが、六ヶ月後現実につぶれるまでは誰も本気にしなかったようだ。)
[]で,もっと奇妙なのが[8150の怪]といふ奴で,こちらの関係先,立回り先,それこそ電話番号から
銀行口座,
ユーチューブの整理番号に至るまで,
将に「張番中]とばかりにこの数字が現れる。 ---数字学の人によるとこれは語呂合せ通りに[ハイゴレイ,背後霊]の告知なんだそうな。---思い込みにしては,本人が選んでいる番号ではないし,それが勝手に現れて来るのは止めようもなく,現に個人向けの物に出て来る事実は動かし難い。---しかし、どんなメカニズムで現れて来るのかね?
[]と言うのを逆から考えてみて,ハタと思い当ったのは,実は小生は元々坊主になる為の修業をさせられていたのではと。 虫や花の自然観察から始まって科学一般,一方では詩人逹の人間学,次に社会学で視野を広げる一方,山登りの有無を言わせぬ荒行と,小屋番の只働き = そりゃ無私無心の達人にもなるさ。 (永平寺の香月師はそれを一目で見拔いた訳だ)
で,幸か不幸か裁判沙汰で仕事を離れ,改めて禅なるものを考えるうちに無私無心と神経生理との関係に気が付き,禅と仏教の謎が一気に解けた。
[ で,これも何故か遇然,ブログを始める事になり,書始めてから気付いたのは,どうやらこれは
釈尊以来,2500年間で初めての解釈,ひょっとしてこれはえらい大役で,これが母親の言っていた使命なるものではなかろうか? もしそうであるなら,そりゃ不動明王の加護,背後霊の加護が付くと言うのも納得が行く。---逆に見れば,これが必要であったからこそ,全てがここに集束すべく物事が生起して来た,生起すべく配置されていたという事だろう。
遇然のように見えているが実は全て起るべく定まっていた訳です。(これを運命と呼ぶ)
[]唯一困るのは,小生のブログでは元々の仏教に怪し気なナンジャモンジャは(あれはヒンズーや土俗タントラの混交)存在しないし
釈尊もそれに対する質問は無視して黙っていたとされている(無記)---それではこの不動明王と言うのは何者で,そもそも小生の運命を規定するダルマに意志や意図が有るのかと言う難問が出てしまう。
ダルマは単に縁起が網のように連鎖した[空]で意図を持たない無私である筈。(まァそれは不可知と逃げるのですが) (しかし,これも逆説で,もし小生のやっている事,書いている事がダルマや
釈尊の意図に反しているならそれこそ大逆罪で,とっくの昔にコロッと死んでいた筈だし,嫌がらせやハッカー攻撃を受けてブログもつぶれていた筈。)ーーー結果として何故か小生が禅仏教の基になった脳生理について語る事になった。 小生自身は悟りを得ようとも教祖になる気もさらさら無く単に迷信に侵された仏教者,研究者に[これが本来の教えというもの]を証したいだけで,2500年の間に一人ぐらいは,これをやる奴が居ても良かろうと言う事です。
[] これを整理,組識化し,宗教化するも哲学化するもそれは誰かの仕事で,それも因果の生起として起るものなら起り,仏教も元々の形に戻るでしょう。あるいは,鼻クソとして消えるものなら消えて行く。 それがダルマの意志,と言うものでありそれが己れに付いたカルマです。
合掌 良禅拝
[]
The translation into English through Google Chrome is pretty hilarious. 😀 All best to you! I hope to catch up on your other posts this weekend. I’m way behind!!!
Now I’ve seen “So-called Google Translation” = I totally agree with you. They are utterly hilarious.
In fact, I wonder how you ever made sense of the meaning if there were any at all. 😀 😀
(It is notorious too, Google translation, English to Japanese doesn’t work at all)
Google Translation can be very entertaining. I made some sense of the meaning. Over the years I have studied Japanese. It was my first major in college until I eventually switched full-time to French, but I have gone back to studying it a various points since then. I have trouble maintaining my momentum though to achieve any real proficiency.
Oh, I didn’t know. I thought you are naturally possessing good sense in language and picking up Japanese too.
Japanese is the hardest one to learn. So that, I still made a dreadful mistake even after using it 30 years.
Blime, through Google Translation, you managed to read hilarious story ?
It must be something wrong, it was a very serious solemn story !
Ha ha ha 😀
Really?! You? Serious and solemn…. Hmmmm. 🙂
Oh, Com’n it’s almost one’s whole life and the story of the fate.
It’s got to be very heavy serious story. Ha ha ha 😀
(The trouble is, especially if anybody saw me dancing in the club
they couldn’t believe it true. 😀 )
May be because of this post, today I got the access from Japan 64 on this moment.
(It made total so far more than 150) —– but this post might scare them = this is THE hot-potato.
Ha ha! 🙂 But then they would see that despite the solemnity of the story, life maybe doesn’t have to be taken so seriously after all.
このところパソコンに触らない日も有って、ブログを見たら日本語。思わず読みました。
一番驚いたのは外国の人が返信している事。でも確かに翻訳出来ますものね。
でもお互いにいい年になってきたので、体に気をつけて元気で頑張りましょう。
コメント有難う。
正直な所,「今書いておかなかったら」の気分もあるし,引取手の無い書類も作品もガラクタと供に
粗大ゴミのバケットに消えるのみですから,例えば番号の現れたカードの現物が
何の意味を持っていたかを書残している訳です。
僕自身で翻訳の結果を読んでいないのでどれ程正確かトンチンカンかは想像するだけですが
それにしても,笑い出す程面白いものではなかったと思うのだが---(笑)
[…] supernatural power. —– such as in my case of 8150 story. ヨシ禅縁起 […]
[…] 最近、『ヨシ禅縁起』なるポストに加筆をしたのだが、それを目ざとく見付けた人が「お宅本当に根性悪いなァ、40年も前の話に末だ恨みを抱ている訳?」と言って来た。 実を言うと40年に渡りこだわっているのでは無くふとその男が山で初日から下山するまで徹底して暴風雨に痛めつけられたという話をNetに書いていたのを見て 因果応報という言葉を思出したからに外ならない。 で、この場合、何が「因」なのかを辿ると昔のエピソードに戻るという訳だ。 この男の場合滑落して死んでいても良かったのだが、死体を運んで長い雪道を歩かされるのはこちらの迷惑。---まァ雪盲あたりが妥当な所か? […]
[…] 正直もヘチマも、欲や執着と言った感情どころか、そもそもアタシはあまり自己である意識が無いので思いつくまま 勝手に生きさせていただいております。これが禅で言う自在。 […]