根性悪い?
最近、このブログの『ヨシ禅縁起』なる古いポストに加筆をしたのだが、それを目ざとく見付けた人が「お宅本当に根性悪いなァ、50年も前の話に末だ恨みを抱ている訳?」と言って来た。 実を言うと50年に渡りこだわっているのでは無く, ふとその男が山で初日から下山するまで徹底して暴風雨に痛めつけられたという話をNetに書いていたのを見て 因果応報という言葉を思出したからに外ならない。 で、この場合、何が「因」なのかを辿ると昔の山岳部時代のしごきのエピソードに戻るという訳だ。 この男の場合岩場で滑落して死んでいても不思議は無かったのだが、死体を運んで長い雪道を歩かされてはこちらが迷惑。---まァ雪盲あたりが妥当な応報だったのだろう。
「まるで仏教者らしからぬ言葉ですね」と言うので「仏教が底無しの慈悲などを語っていると思っていたらひどい誤解で、死ぬ程の苦行も経験した
釈尊自身、人を殺しかねない程の厳しさで教えを施していたのです。 つまりそれは甘い慈悲などと言うものではなく、本人自身で答を見つける為の、鍵を与えるものだったのです。 しかも三回教えても見込無しとなったら、それまでとつっ放されていたのです。 慈悲とか極樂を語っていたら、それは
釈尊の教えではありません。教えの核心は何が真実か、であったのです」 つまる所誰もが己れの持って生れた運命を生きて行かねばならない訳で、その男が「唯物論はその状況での自由撰択を取るだけで、運命などと言う考えはナンセンス」と言うのは自由だが、死にそこなう程の暴風雨は現実に有無なくやってくる。 で、何故かそう言う時に山に出掛ける人が居ると言う遇然のフシギ ??? これを運命とか宿命と呼ぶのですが本人、自覚していないから避ける事もできない。ーーー 因果応報の不思議な所はそれがー見何の関係も脈絡も無い所に出る事で、当事者は単なる事故と思っていても, 改めて考えてみると自分の血筋は根絶やしになっていたと言うような調子で、それがいかなるメカニズムで機能しているのか、まるで不可解ながら何故かそうなる ーーー こうした超常現象がマインドパワー(念力、怨念)で働いていると言う説も有りますが、その割に丑の刻参りに効果が無いというのも周知の事実。
つまり応報とは人間の思念ではなく “天”が決裁して断罪するものなのです。 そこには普遍かつ永久不変、客観的に成立している善悪の絶対的基準が在り、イデオロギーや聖書と言ったものの解釈やイケニエの量で適当に変る西欧流の“正義”とは完璧に異った、絶対的な倫理空間が形成されています。 それが東洋で天とか神と呼ばれているもので、人々が現象の背後に直感している力(パワー)に外なりません。
オーム教とかいうグループはこうした天の庇護どころか、その力の知識経験も無しに只、ヒンズー教グルの噂話を聞いてそのマネをしていただけだったのです。(2500年前、しばらく苦行僧のグループに加った
釈尊はそうした苦行が何の足しにもならない事に気付き独自の教えを始めた) 当然のことながらインチキなオームでは天からの警告を聞く事も無く只ずるずると醜悪な泥沼の深みに沈んでいき決定的な応報、極刑の懲罰を受けるハメになったのです。 しかし最大の疑問は、何故もっと早い時点で幹部などのメンバーが癌にかかったり事故に会って死滅していなかったのか??? (まさか邪宗(まァ、ヒンズー教の一派みたいに見える)にも信仰の自由、平等な生存権が有るなどの屁理屈があったのか?) ---ーー それにしても、それにしても巻きぞえを喰った他人さまにとってはえらい悲劇。
***** ところで別の意見によると、このポストが書かれたのが 13日の金曜日というのが怖いそうだ。(おヤ、そんな事には気がつかなかったが、しかしどうしてそうなるのかね?) (笑)
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