Yoshizen's Blog

Spiritualism

スピリチュアルショップといった店は意外とあちこちに在るようで、何やらエネルギーとかパワーが宿る石とか透視のできる水晶玉などを売っていたりする。で、しばらく前のこと、そんな店で自分はスピ派だと称する女性に出会った。何故か日本人で古代エジプト系のチャームをためつすがめつしていた。「はァ、そういうのに何かパワーでも有るンですか?」と不躾に声をかけたら「あァ、何か感じますね」とおっしゃる。「へェー、僕は手相に神秘線は在るがオカルトっぽいものは全く見えませんなァ」と返したら僕の手をのぞいて、「アッ、本物はヤバい」とのこと。スピ派というのはファッションアクセサリーのように雰囲気を楽しむものでガチのソーカとかゲンリは避けられるのだそうだ。同様に褝などはそのベジタリアン料理まではいいがその先はオタクより臭いのだとか。

そこから見たら今の日本に、家業の禅寺をつぐ必要のある人以外、何人ぐらいの人が自分の撰択で禅を学んでいるのか?ーーーさらに不思議なのは日本からこのブログへのアクセスが断えない「ダルマ/法と仏教の構造のポストを読んでくれているのはいったい誰なのか? そもそも、このポストをどうやって発見できたのか?(書いてある内容は素人受けする物ではないし、逆に本格的に仏教学を学んだ職業僧にとっては奇異過ぎるのではなかろうか? いかに禅が自由な発想を呼ぶものとしてもあれはどうなのか?)

このブログでは禅仏教を専ら神経生理の自動制御に帰結して論じていますが、そこでは「だから何ンなの」はめったに出て来ない。自動制御の稼動状態(神ワザの正確さで黙々と作業するなど)は誰の目にも明らかであるから解り易い。しかしその背後には不可解なものが多すぎる上に「ホンマ?」がついて回る。無心になり、経験則やDNAに予めプログラムされた自動制御にコントロールを任せる。同様に人生をカルマの生起に任せる=これで人智を超えたダルマによる完璧な対応処理が行なわれ全てメデタシメデタシとなれば文句ナシ。---とはいかない。都合良い神ワザ伝説はいくらでも並ベられるし、それをもってスピリチュアルな調和が得られるなどと強弁しても意味はないーーーつまりそれが真実ではないのだから。=真実ではない所がダルマゆえの真実か?と、解ったようなシタリ顔してもまた無意味であるし、だからサトリは犬のクソと言ってみても何も始らない。 つまり完璧かつ有効な答はどこにも無い。

(実は禅の奥では片仮名のスピリチュアルとか本人の思い込みなどをはるかに超えた超常現象が起っているのです。(俗に目に付くものは神霊現象とかパラレルワールドとか呼ばれたりしているらしいですが)しかし、残念なことにそうした現象の証明や説明は全くできません。卑近な例で恐縮ですが小生の8150の怪なんてのは極めて厄介。(例えばダルマのような全能の神以外に当人の行動を予測してチケットの数字を予め準備する事などが可能か?)ーーーしかしこれが禅やダルマの神秘性と関係があるのか、単に当人の妄念の産物なのかは解らない。(なぜかそう思って行動しているとそのようになってしまう。)=俗に因果応報と称される現象は単なる遇然ではなく、それなりのつながりを持っているようですし、現にそれが起っているのは間違いない事実です。ちょうど特定のDNAを持った人が特定の運命に従って生きているのと同様ですが、これに対する 何故か? は永久に不可知でしょう。)(しかし、もしそうした超常現象の操作法が解ったなら、多数のグルが居るインドが核兵器や病院を持つ必要は無かったでしょう)

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  1. […] Spiritualism | Yoshizen’s Blog said, on April 21, 2019 at 19:00(Edit) […]


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